電車は平気で遅れる。電話の新設を申請しても、何年待つか分からない。手紙の遅配は当たり前。いいかげん
の極地の国。
そんなイメージのつきまとう国だけに、イタリアという国と「きれい好き」とは、どうも結びつかない。
そう、イタリアは整然さからは程遠く、混沌こそが、お似合いの国だと思われがち。
しかし、コトに自分の家のことになると、イタリア人ほど整然さに固執する国民はいない、という事は随所で報告さ
れている。
イタリア女性の掃除好き、これはもう完全にビョーキといっていい。朝から晩まで、汚れていない室内を何回も
掃除しまっくっている主婦の数、数、数。仕事を持っている女性でさえ、睡眠も惜しまずに寝る前の掃除に励む。
タカコ・半沢・メロジー氏は、イタリア人の病的とも言える掃除好きを『女が幸せになるイタリア物語』の中で指摘
する。
特に日本のように鍋やらフライパンをごたごたと出したままのキッチンは言語道断、一物も残さずに完璧に収納し
てまうとのこと、それがイタリア式のキッチンなのだ。感心した私はマネをしてみるものの、2、3日でなし崩し状態、
すぐに出しっぱなしキッチンへと逆戻り。
このきれい好き、神谷ちづ子氏も『ママはローマに残りたい』で指摘している。
センスのいい人とか、お金持ちの家とかそういう限定された話でなく、ある程度、すなわち普通の家だったら間
違いなく、みんながみんな、きれいに家を整えている。どの家を訪問しても、「インテリア雑誌みたい…」という
感想をもってしまう。
その他にも、スザンナ・タマーロの小説『心のおもむくままに』(‘95 草思社)には、綿々と続く女の労働への呪詛
が語られ(掃除を始めとする家事をいかにしているかの証左)、あの「ヒデとロザンナ」のロザンナのエッセイ集『あ
りがとうチュッ!』(‘96 扶桑社)には、死の直前まで掃除に明け暮れていた母親の姿が綴られ、ドキッとさせら
れる。(「家中を掃除し、死んでいった母」の章参照)
イタリア人は、まさに掃除に命をかけている国民なのだ。
しかし、ここまで見て、ひとつの事実が浮かび上がってくる。
それは、この「きれい好き」、すべてイタリアーナのこと、つまりイタリア女性について当てはまる、ということ。
それでは男性は、いかに?ということになってくる。
残念ながら、イタリア男性のきれい好きについて言及している文献は、今のところ見つからない。(個人的にはき
れい好きな男性はたくさん存在するのだろうけど…)
1995年のある調査によると世界でもっとも就業時間の長いのは、イタリア女性だとか。そして、世界中の近代諸
国にあって、もっとも就業時間の短いのはイタリア人男性らしい。
ピカイチの女好きイタリアーニは、行動面ではあまりフェミニストとは言えないのだろうか。
一考を要する、イタリアの「きれ い好き」現象…。
●目次
イタリアは泥棒天国か